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2010年8月 6日 (金)

2010年8月6日今年ももう直ぐ終戦記念日がやってくる・・・電信二十八連隊

今年ももう直ぐ終戦記念日がやってくる。勿論自分は戦後の生まれではあるけれど父が陸軍の兵隊であったのでこの時期は特に色々と考えてしまう。以下、父の戦争体験である。

Photo 昭和12年7月7日 中国北京郊外の盧溝橋で一発の銃声から日華事変が勃発。直後、父の兄(写真右)に召集令状が来た。叔父は武装し盛大な見送りを受けて出征した。

Photo_2 昭和13年 この頃は戦地でも記念撮影をする余裕があった?

Photo_5 昭和13年叔父 上海戦線にて その後叔父は生還するが直接に戦の話を聞いた記憶はない。

Photo_3 父 同級会、後ろのポスターには「この一戦何がなんでもやり抜くぞ」の決戦生活訓が書かれている。

1911 昭和19年11月 出征を記念し友人と写真を撮る。

昭和16年12月日本は太平洋戦争に突入、昭和19年には戦争は末期で中国戦線は現状維持が精一杯になっていた。

Photo_4 昭和19年12月 父19歳 出征(中支派遣呂武部隊電信二十八連隊)

12月21日 博多港を出港、釜山上陸 列車で国境の山海関を通り天津を経由、済南、除州を経て浦口に着いたのは暮れの28日だった。

翌年 1月25日 二千五百tの龍山丸で揚子江を漢口へ向けて出港 敵機の来襲を避けるため夜間の航行となった。

1月27日午前一時三十五分 龍山丸触雷し(揚子江湖口下流付近)沈没。この時の話は私がもの心ついた頃から5年前に亡くなるまで数え切れないくらい、それこそ耳にタコが出来るくらい聞かされた。

  *龍山丸 電信二十八連隊現地入営初年兵及び独立有線九十五中隊補充要員等1400名が乗船していた。

  *戦死者数

   兵士 電信二十八連隊 初年兵600名中440名戦死(復員できたのは120名)

                  将校2名戦死 兵長1名戦死 上等兵1名戦死

   他部隊 数百名戦死

   便乗者 445名戦死

その後父はチフスに罹り、九江の兵站病院に入院 4月に九江の有線中隊の内務班、漢口の波隊に復帰したのは5月だった。通信兵としての訓練を受け任務を受けるが八月十五日、ラジオで陛下の玉音放送を聞く。翌日中尉から「いつでも自決する用意をしておけ」の指示があったが何時になっても自決命令はなかった。

武装解除後、収容所内の発信所勤務につく。主には復員に関する通信業務である。

翌昭和21年5月25日漢口出発 6月16日上海出港 6月27日浦賀上陸 復員

*龍山丸沈没後、戦死認定として「理由書」と一握りの揚子江の砂が遺族へ送付された。

   ・・・未ダ屍体収容シ得ズ 遭難前後ノ状況ヨリ判断シテ当然戦死シタルモノト認メ茲ニ縁リアル揚子江ノ砂ヲ以テ遺骨ニ代ヘル次第ナリ  昭和二十年八月十日

Img046

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

実は私の伯父(父の兄)はこの船に乗って戦死しました。享年19歳。父の人生でもっとも辛かった出来事です。

投稿: | 2010年10月22日 (金) 22時35分

コメント、ありがとうございます。

戦死された方の殆どが19歳から二十歳くらいの初年兵だったと聞いてます。
私の父は本当に運良く助かったらしいのですが、この時の出来事は一生忘れられなかったようです。
(父はこの時の出来事を「わが青春の一歳半」という手記に書いていました。5年前になりますがその途中で他界しました。)
悲しい出来事です。

ご冥福をお祈りします。

投稿: バンビ | 2010年10月25日 (月) 18時41分

長兄は正にこの龍山丸で戦死しました。私はまだ2歳で何も記憶にありませんが、母は揚子江の砂を抱きしめ毎日泣いて兄の帰る奇蹟を信じて仏壇に手を合わせていたそうです。兄の石碑には今だはっきりと1月27日敵機の襲来を受け龍山丸沈没により戦死とあります。両親はもう40年前に亡くなりましたが、どんなに無念だった事でしょう。この貴重なデーターを、お寄せ下さった方に心より感謝致します。悲しい現実を受け止め、今の平和の為、貢献して下さった戦死者の皆様に我々罪の償いとして微力ながら戦争と言う惨い世界が二度と無い様祈りたいと思います。

投稿: はつ | 2014年10月26日 (日) 18時43分

はつさん、読んでいただいてありがとうございます。
この時の話は何度も何度も父から聞かされていたので今でも状況を思い浮かべることができます。
若いたくさんの方々が今の平和を築いてくださったのだと涙が出る思いでいっぱいです。
はつさんのお兄様、犠牲になった方々のご冥福を改めてお祈りしたいと思います。

投稿: バンビ | 2014年10月26日 (日) 21時07分

バンビさん、お父様は正に貴重な戦争体験者としての語部さんですね  「わが青春の一歳半」私も読んでみたかったです。終戦になって早70年になろうとして私も記憶にない兄の事が霞んでいましたが上の兄弟から戦死の兄の話を朧に聞いていただけですので、今回長兄がこんなにも惨い最期を遂げた事をバンビさんからお聞きしてとても貴重な体験が出来た思いとバンビさんに心より感謝の気持ちでいっぱいです。改めて戦争の惨たらしさを感じます。兄も浮かばれると思いますし天国で今は両親と仲良く暮らしていると思います。集合写真に兄が写ってるかな~と探してしまいました。有り難うございました。

投稿: | 2014年10月27日 (月) 17時50分

はつさん

一歳半 は未完成のままで父が亡くなってしまったので
原稿メモとイラストをかき集め、ネットで資料を探したりして作ってみました。
出征から復員までの出来事、龍山丸遭難を中心に書かれております。
父の一周忌に親類や戦友の方にお配りしたのですが、はつさんにも是非読んでいただけないでしょうか?
もしよろしかったら住所を教えていただけたらと思います。
bqx04553@nifty.com
私のメールです。
bqx04553@nifty.com

投稿: バンビ | 2014年10月27日 (月) 19時47分

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