昭和の山旅

2012年7月20日 (金)

昭和の山旅⑫ 北アルプス/燕岳~槍ヶ岳~前穂高岳

昭和の山旅⑫ 北アルプス/燕岳~大天井岳~槍ヶ岳~穂高岳  昭和61年10月 学友カスガと縦走する。

天下のNHKで穂高~槍をやっていたのでつい懐かしくなっての2年ぶり昭和の山旅です。お母さんが 槍ヶ岳行きたーい とブツブツいっているのでこれを見て是非行ったつもりになってくれればと思います。

611003 初日、合戦尾根を登り燕岳へ、

611005 燕をあとに大天井へ向かう。槍ははるか遠い。すれ違う人もいない。

611008 大天井の登り。

611009 大天井岳山頂。今では殆ど見ることのなくなったニッカズボン・・・。当時でも少数派になりつつあったかなぁ?

611014 大天井で幕営する。この頃はよくシシトウを焼いて食べていた。

611018 二日目、喜作新道から東鎌尾根を槍ヶ岳へ歩く。すれ違う人はいない。

611024 槍ヶ岳山頂。

611023 山荘近くで幕営する。

611034 三日目、南岳~キレット。すれ違う人は殆どいない。

611038 北穂高より槍ヶ岳を振り返る。

611040 北穂高岳山頂。途中の北穂小屋で幕営、と思っていたが何か雰囲気が合わないので敬遠した。何か、って、何かおしゃれそうな人がたくさんいて・・・。この北穂小屋は戦後に八王子恩方出身である私の父の友人とその兄が造った小屋で 穂高を愛して二十年 という有名な本も出されている。西丸震也の本の中でも 変わり者兄弟 として書かれていた(ような気がする)。だからそれなりの感慨はあった(ような気がする)。

この付近で雷鳥が必死に飛ぼうとしている姿をみた。飛ぼうとはしていたがなかなか飛べず、結局そいつは滝谷へ落ちて行った。どう見ても落ちて行ったが多分鳥だから大丈夫なのだろう。

611045 北穂~涸沢。

611047 涸沢岳山頂。穂高岳山荘付近で幕営する。

611050 四日目、奥穂~前穂を経て上高地へ下る。遠く梓川が見える。

秋の山は綺麗で人も少なく良い山旅だった。

写真機:NIKON F2

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2010年8月16日 (月)

昭和の山旅⑪ 栃木/鹿沼岩

6003 昭和の山旅⑪ 栃木/鹿沼岩 昭和60年3月 学友ビゼンと遊ぶ

1日目 ついでに岩場の下にあった2m弱くらいの石っころを登ってみた。山雑誌で見た 「ボルダリング」 とか言うのをまねしてみた。十撃くらいで登れた。「こう言うの、ボルダリングっていうんだぜっ!」と、ビゼンに知ったかぶったような気がする。ボルダリング初体験は意外と早かった。外岩での2回目は2005年(平成17年)の8月小川山だった。分岐岩の4級1撃、H1786_021 出だしは良かったが・・・。  

6003_2 2日目は雪になった。足ごしらえは例の「岩トレ」要するにただの運動靴。

それにしても今日は暑い。

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2010年7月20日 (火)

昭和の山旅⑩ 丹沢/小川谷廊下・女郎小屋沢

昭和の山旅⑩ 丹沢/玄倉川支流小川谷廊下・女郎小屋沢 昭和60年8月 山仲間と遡行する

中ノ沢堰堤を下降し小川谷へ

6008 このあたりから廊下になる。

6008_2

6008_3 廊下のどのあたりだか記憶は曖昧だがかなり滑り易かった。

6008_4 つるつるの大岩を通過し廊下の核心部へ。

6008_5

6008_6 多分、石棚2段15mの1段目 左壁の岩塔を登る。

6008_7 石棚を過ぎると核心部は終わり、東沢乗越からの中ノ沢径路を下った。

立間大橋下小川谷出合附近で幕営し、翌日は女郎小屋沢を遡行した。小川谷出合からユーシン方面へ、隧道を抜けた先で玄倉川へ下降する。女郎小屋沢出合附近は開けて気持ちが良く、以前はよくキャンプをしたところだが・・・あの事故があってからは行く気になれない。

6008_8 10mナメ

6008_9 15m滝

6008_10 1本目のプロテクションをとる。技術的には決して難しいクライミングではないが、15mの壁を2~3本の残置ハーケンに頼るのは今考えてみると気持ちの良いものではない。万が一足を滑らせてしまったら簡単にハーケンは抜けちゃうんだろーな。

この先は良く覚えていない。写真もない。ちょっと中途半端です。

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2010年7月13日 (火)

昭和の山旅⑨ 奥多摩/つづら岩

昭和の山旅⑨ 奥多摩/つづら岩 昭和60年3月・8月 学友ビゼン・カスガと遊ぶ

600203 3月 五日市の軍道から大岳山に延びる馬頭刈尾根上につづら岩はある。桧原村の千足から天狗の滝(ココもフリー化されているらしい)を通ってつづら岩へ。

600205 当時はクライミング専用のたんたん(フラットソール)なんて山の道具屋にぶら下がっているのを見たことはあったが買える訳もなく・・・アシックスの 岩トレ というシューズ(岩登りトレーニング用シューズ)、要するにただの運動靴で登った。尤も遊び程度だからそれで十分だった。チョークも持っていなかったし兎に角 楽しい遊び に過ぎなかった。

600206 縦走路にテントを張り、翌日も遊ぶ。岩が冷たいので軍手をはめて登っていた。こんな楽しい遊びはなかなかない。しかし、岩登りって難しいんだなって思った。

6008 8月13日 千足から登り、つづら岩に着いたところで登山道に一杯の荷物を広げてお昼ご飯を食べる。トランジスタラヂオからは、昨夜の日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事故のニュースが流れていた。520人が亡くなった事故である。ニュースを聞いているときはまだ事故の全貌が分からず、ただ大変なことが起きたのだな と感じていた。御巣鷹山がどこにあるのかも知らなかった。兎に角暑い日だった。

6008_2 学友ビゼン

6008_3 子供の遊びだから登るだけじゃなく懸垂で降りてくるのが楽しかった。

6008_4 遊び終わった二人は一端の 山男 になった気分?だ。1泊の予定だったがビゼンの足の怪我が良くないので急遽この日だけで終了。

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2010年7月 2日 (金)

昭和の山旅⑧ 北アルプス/唐松岳

昭和の山旅⑧ 北アルプス/唐松岳 昭和61年10月 学友カスガと登る

当初の山行予定は、唐松岳~五竜岳~鹿島槍岳~の縦走予定だったが・・・

14日夜行で東京を発ち大糸線白馬駅へ。この頃ってどんなことがあったのかなぁ、と昭和の本を引っ張り出してみると、14日は 東京ぼん太さんが47歳胃がんで亡くなった日。まさに今の自分の歳だし好きな芸人さんだったので思わずYou Tubeで動画を懐かしく見てしまった。

6111  不帰沢、上部が不帰キレット(かな?)

6111_2  八方尾根から見る唐松岳

6111_3  八方尾根

6111_4  稜線は近い

6111_5  唐松山荘の幕営地、料金一人400円は当時の相場、今はいくらくらいだろう?

6111_6 テントの中から唐松岳を望む

6111_7  右の山が五竜岳

6111_8  唐松岳山頂

予定は縦走だったが予想以上の?雪のためビビる。カスガは雪の経験がなかったし自分もそれほど経験豊富という訳でもなかったし天候も余り良くはなかったし・・・と言う 理由 を沢山見つけて翌日は往路を戻ることにした。正直、行くべき予定の稜線を見た時は怖いなと思った。実際に予定通り縦走をしたらどうだったのだろう。良くは分からないけれど無難な選択だったかなとは思う。

この頃はどんな時代だったのか、再び昭和の本を広げてみると、

・土井たか子さん社会党委員長「やるしかない」

・石坂洋次郎さん没

・児玉泰介さん北京国際マラソンで日本記録

・サントリーホール落成 ・・・・・

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2010年6月24日 (木)

昭和の山旅⑦ 奥多摩/雲取山

昭和の山旅⑦ 奥多摩/雲取山 昭和62年2月 学友スガワラと卒業山行

昭和の山旅、全く順不同である。

620201  もう直ぐ卒業なのでスガワラと雲取山に登った。(鴨沢~)

620203  雲取山には良く登った。

620205  びびるスガワラ。2年生の頃だったかな、南アルプスでの滑落を思い出す。あの時は見えないところで大音響とともに滑落したスガワラ、一瞬「○○大生南アルプスで滑落死」という新聞記事が頭に浮かんだものだ。幸いにも擦り傷程度で済んだものの自分自身反省すべきことが多かった。しかし、その時のスガワラが言った、「○○○、ここまで来てくれよ」は中々に辛いものがあった。「自分でここまで上がって来い!」と言う言葉を飲み込んで慎重に彼のもとへ行って見ると傷と泥と汗にまみれた顔でザックを背負ったまま斜面に座っていた。15m位だろうか、急斜面に滑落した跡が・・・転がりながら落ちたみたいだが今スガワラが座っている1m先は・・・その時のスガワラの顔は忘れられない。

620207 七ツ石山を回り込み、尾根のブナ坂に着く。こんなことをするのも若気の至り、まだ23の若造なので許してやってください。

620208  行程的には日帰りコースだが山にテントはつきもの、ブナ坂で幕営する。

620213 4年間の反省をスガワラと語りある。もっと勉強すれば良かったとか、もっと山に登れば良かったとか、パチンコで負けすぎたとか、オレたちは真面目すぎたとか・・・。兎に角社会に出ることは自分にとっては地獄のような気がしていた。

620217 翌日は雲取山に登る。

620219  雲取山頂にて。今と余り変わらないな。

620220  スガワラ、きっと立派な公務員になっていることだろう。

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2010年6月18日 (金)

昭和の山旅⑥ 南アルプス/甲斐駒ケ岳~早川尾根~鳳凰三山

⑥南アルプス/甲斐駒ケ岳~早川尾根~鳳凰三山 昭和61年10月 学友カスガと登る

6110 甲斐駒と言えば駒ケ岳神社からの黒戸尾根、58年11月以来2回目。五合目で幕営、翌朝にはうっすらと雪が積もっていた。

6110_2 八合目御来迎場を過ぎ、甲斐駒ケ岳山頂へ・・・

6110_3 駒津峰、ここから仙水峠へ。

6110_4 仙水峠より摩利支天を仰ぐ。栗沢山~アサヨ峰~早川尾根を経て早川尾根小屋で幕営。

三日目、広河原峠~白鳳峠を経て地蔵岳へ。白鳳峠から広河原への下山道には思い出があった。思い出というか忘れられない出来事というか、学友スガワラと来た時のことだが・・・それはさておき・・・その時は地蔵岳のオベリスクには登っていなかった。鳳凰三山とは地蔵岳・観音岳・薬師岳のことで、まとめて鳳凰山と言われている。地蔵岳のオベリスクはその三山の最高点だから矢張りそこに登ってみないと鳳凰山に登った気になれないので、今回は是非・・・というほどのことでもなく、カスガと「登れるんじゃないかなぁー」くらいの軽い気持ちで、

6110_5 賽の河原からオベリスクを見上げる。古人はこれを大日如来に擬して尊崇したため法皇山の名が生じたと言われる(深田久弥の百名山に書いてあった)

6110_6 で、オベリスクの頂上で寝転んでみる。頂上は意外と広く兎に角気持ちがいい。幸せな気分だった。

6110_7 初登は明治37年、あのウォルター・ウェンストンである。ウェストン・ルートという名前が付いている。

6110_8 観音岳方面から地蔵岳を振り返る。

6110_9 観音岳あるいは薬師岳方面へ

6110_10 山火事跡を過ぎ、夜叉神峠へ下る。気持ちの良い山旅だった。

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2010年6月14日 (月)

昭和の山旅⑤ 北海道/利尻岳・礼文岳

⑤利尻岳・礼文岳 昭和60年7月 一人旅(この手の山旅は一人でなければいけない)

計画としては大雪山からトムラウシ~十勝岳~富良野岳の縦走をメインとし、その前段階として利尻岳・礼文岳・礼文岳縦断を予定した。当時の山渓の特集で「島の山旅」に憧れて未だ見ぬ島を夢見て青春18キップ?を握り締めて上野駅から寝台列車に乗ったのである。

600702 青森から連絡船に乗る。昭和だから画像は悪い。車も古い。

函館から急行と鈍行を乗り継ぎ稚内には23時頃に着いた。途方に暮れるが近くの公園まで行きベンチに寝転んでみる。さすが殆ど日本最北の地は寒いのでそこでテントを張った。

翌朝一番のフェリーで利尻の鴛泊へ向かう。天候は良くない。吹きさらしのベンチで寒さをこらえながらただじっとしていた。一時間半がまんすると突然雲が切れて利尻岳が姿を現した。千七百ほどの標高だが、その姿は異様な鋭さと美しさを持っていた。たった三分間の光景である。再び利尻は姿を隠してしまった。

6007 船を降りて登山道へと向かう。何時の間にか空はすっかり晴れ、甘露泉に着く頃はばてていた。何しろザックには大雪~富良野岳までの燃料と食料が入っている。汗だくになりながら長官山に着き、避難小屋近くでテントを張った。

6007_2  暫くすると十数人の登山者が登ってきた。殆ど道内の人たちである。士別から一人で来た人に「避難小屋が一杯で泊まれなくなったらテントに入れてね」と宇野鴻一郎の官能小説を頂いた。

6007_3 未だ陽の高い頃から落陽するのを待つ。

6007_4 海一面に雲海、礼文島が雲に浮かぶ。

6007_5 19時半、太陽は長くのびた礼文島の左端、知床に沈んで行く。ここでは風光明媚などという言葉も単なる俗語と化してしまう。ただすべてが雄大なのだ。

翌日は強風が吹き荒れて視界が利かない。予定を変更して利尻山頂を往復することにした。幕営地に戻りお茶を沸かして一服すると強風に雨が加わった。急いで撤収、下山し鴛泊からフェリーで礼文島の香深へ。あてもないし寒いので誘われるままに知床の民宿に泊まることにした。

三日目、礼文岳に登る。本当は島全体を見渡せる筈だった。二時間半の粘りも虚しく民宿へ引き返す。翌日は礼文島を縦断するので民宿のお姉さんが詳しく説明してくれた。帰れなくなった人がいるとか、海岸の岩場は凄く大変だとかやたらと恐ろしい話だった。

四日目、礼文島縦断。バスでスコトン岬へ。ゴロタ浜では穴空き貝を拾う。ここの貝には小さな穴が一つだけ空いている。何故穴が空いているのかは歩きながら考えるのだ。海岸沿いを歩き宇遠内へ。呼ばれるままに売店に入ると何故かサービスでカレイを食べさせてくれた。元地までは岩場のある海岸線を歩き、礼文滝、地蔵岩を過ぎて舗道を行く。

600703 宇遠内附近?かな

600709 桃岩附近?かな

600713 五日目、香深港を後にする。民宿のお姉さんと宿泊客のお姉さんが見送ってくれた。かなり照れくさいが手渡されたテープを投げる。ギターのお兄さんはひたすら拓郎の「洛陽」を歌い続ける。

600716 フェリーは稚内へ・・・今思うとかなり昭和っぽい場面かも・・・。

民宿で見たテレビの天気図、やけに複雑に低気圧と前線が入り組んでいた。取り敢えずは旭川からバスで層雲峡へ、暗い中近くの公園で幕営するが雨が降り出す。ラジオの予報では暫く荒天が続くらしい。

と言うことであっさり諦めて翌日は帰途に着くことにした。朝、何となく後ろ髪を引かれる思い出ロープウエィの方を振り返ったが、ガスと雨で何も見えなかった。

600718  函館で一泊し、連絡船の大雪丸に乗る。次は何時来られるかなぁ、と思いながら見た函館のビル郡と大雪丸の白い航跡が印象的だった。

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2010年6月12日 (土)

昭和の山旅④ 谷川岳

④ 谷川岳 昭和61年12月 山仲間と登る

今日は暑いからね、

6112 鈍行の夜行で地下の土合駅で下車し、数百段の階段を数百人の登山者が一斉に黙々と登って改札を出た駅構内の地べたで仮眠する、お決まりのパターンだ。(地下ホームの待合室はマズイ、というかヤバイらしいから・・・)

6112_2 西黒尾根からの展望

6112_3 西黒尾根を登る

6112_4 谷川岳 トマノ耳とオキノ耳

6112_5 昭和の山だから画像は悪い。 山頂では風が強いのでツエルトにくるまってお茶を沸かして食事、その後は天神尾根を下った。

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2010年6月 8日 (火)

昭和の山旅③ 奥秩父/木賊山~雲取山

③奥秩父/木賊山~雲取山 昭和59年11月 一人山旅

591004 一日目(10月31日) 戸渡尾根~木賊山~笹平避難小屋

夕方、稜線上の笹平避難小屋についた。誰もいないだろうな、と思ったら愛想の悪い一人がいた。性格的に合いそうもないので殆ど彼とは話さなかったが、それなら一人きりで小屋に泊まったほうが気が楽だ、と思ったのはお互い様だろう。

この時にトランジスタラジオから流れたニュースを何故か良く覚えている。ひとつはインドの首相インディラ・ガンジーの暗殺、もうひとつは翌日11月1日に発行される新札のニュースだった。

591005 笹平避難小屋より富士山を望む

591012 雁坂峠(日本三大峠・日本武尊が開いたとされる)

二日目 笹平避難小屋~西破風山~雁坂嶺~水晶山~古礼山~燕山~笠取小屋(幕営)

591021 笠取山

笠取山はいかにも気持ち良さそうな山だったが、登らずに笠取小屋へ向かった。それがこの山旅の唯一の心残りだったが、2007年3月31日に家族+一匹で漸く登ることが出来た。Dsc_0097

591022 雁峠

5911 笠取小屋

2007年に来た時にはこの辺りはすっかり変わっていたが・・・

5911_2 笠取小屋幕営地

三日目 笠取小屋~牛王院平~飛竜山~雲取山(雲取山頂避難小屋)

笠取山からの稜線は藪のため南面の巻き道をひたすら歩いた。

四日目 雲取山頂下幕営

591031 雲取の避難小屋で泊まり翌日は殆ど一日山を眺めながら待ち合わせていた兄貴とその先輩を待つ。

5911_3  この日は休日で避難小屋に泊まる人が多かったので山頂下で幕営、目的は天体観測。南方向にカノープスを見た。この星を見るとなんでも長生き出来るらしい。

五日目 雲取~鴨沢下山

これで奥多摩駅から増富までが繋がった。そこから色々と夢は広がったのだが・・・なにも実現せず現在に至る。

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